
自治体の公開入札に申請書類を出そうとしたとき、総務担当のあなたは手が止まりました。資格審査の様式に、去年まで存在しなかった欄がある。「女性管理職比率」。隣には**「男性育休取得率」と「男女間賃金格差」**の記入欄も並んでいる。
従業員80名の訪問介護・デイサービス事業所。女性スタッフが全体の75%を占め、正社員30名とパート・アルバイト50名が混在する職場です。「女性が多い職場だから問題ないだろう」——そう思った瞬間、別のことに気づくはずです。管理職の定義は何か。パートの賃金も含めた格差の計算方法は。育休の「取得率」はどの期間で区切るのか。 数字を書くこと自体より、「正しい数字を算出する方法」が分からないことに、本当の壁があるのです。
この記事では、(1) なぜ入札書類に人的資本の指標が求められるようになったのか、(2) 介護サービス業特有の難しさとは何か、(3) 80名の事業所を想定した業務シミュレーション、(4) 兼務の総務担当でも対応を始められる具体的なアプローチ、を順に整理します。
人的資本3指標の波及経路と介護業特有の算定困難
人的資本開示の義務化——「上場企業の話」が、なぜ入札に現れるのか
結論から言うと、2023年1月の内閣府令改正により、上場企業約4,000社が有価証券報告書で人的資本データを開示する義務を負い、その開示基準が自治体の調達や取引先の評価項目に波及し始めているのです。
2023年1月31日施行の「企業内容等の開示に関する内閣府令」改正により、有価証券報告書に「サステナビリティに関する考え方及び取組」欄が新設。人材育成方針・社内環境整備方針の記載と、測定可能な指標・目標の開示が義務化された。必須指標として「女性管理職比率」「男性育休取得率」「男女間賃金格差」の3指標が追加。
——アスエネメディア「人的資本開示義務化とは?対応方法や注意点を解説」 https://asuene.com/media/1517/
「うちは上場していないから関係ない」——そう思いたい気持ちはよく分かります。法律上、有価証券報告書の提出義務があるのは上場企業だけです。しかし、波及する経路は3つあります。
経路1:自治体の入札要件。 公共調達の資格審査で、人的資本に関する指標の記入欄が追加される自治体が増えています。介護サービスは自治体との取引が事業の基盤。入札書類の空欄は、加点評価の機会損失に直結します。
経路2:地域包括支援センター・元請法人からの質問票。 上場している介護大手が自社の有価証券報告書にサプライチェーン上の人的資本情報を記載する場合、委託先・協力事業所にデータ提出を求めます。
経路3:CSRD/ESRS S1のバリューチェーン要請。 EU圏の規制基準であるESRS S1は、自社の労働力だけでなくバリューチェーン上の労働者も開示対象としています。外国人技能実習生を受け入れている介護事業所は、間接的にこの文脈に入る可能性があります。
つまり、人的資本開示は「上場企業が自分たちのレポートで使う話」ではなく、調達・委託・入札という日常の取引経路を通じてSMEにまで届く構造になっているのです。
介護サービス業が「特に難しい」3つの理由
人的資本の3指標は一見シンプルですが、介護サービス業には計算を複雑にする構造的な要因が3つあります。
理由1:雇用形態の多層性。 正社員30名、パート35名、アルバイト15名。男女間賃金格差を計算する際、雇用形態ごとに時間単価を揃えて比較する必要があります。月給制の正社員と時給制のパートを同一の計算式に載せるには、「年間総報酬 / 年間所定労働時間」への換算が避けられません。給与ソフトから出るデータは月次の支給額であり、この変換は手作業で行うしかないのが現実です。
理由2:「管理職」の定義の曖昧さ。 介護現場では「サービス提供責任者(サ責)」「管理者」「主任」など、法的な役職と社内呼称が一致しないケースが多い。女性管理職比率を算出するには、まず自社における「管理職」の定義を明文化しなければなりません。訪問介護ステーション2か所の管理者は管理職か。デイサービスのフロアリーダーは含むのか。この線引きを決めないまま数字を書けば、翌年の比較可能性が崩壊します。
理由3:男性育休取得率の「分母問題」。 80名中、男性は20名。そのうち該当年度に配偶者が出産した男性が何名いるかで分母が決まりますが、介護業界は男性従業員の母数が小さいため、1名の取得・非取得で比率が0%にも100%にも振れます。この統計的な不安定さが、「目標設定」を困難にしています。
思考実験——介護サービス80名の事業所に何が起きるか
ここからは、具体的な業務シミュレーションで「人的資本データの整備」が現場にどう影響するかを見てみましょう。あくまで構造を理解するための思考実験です。
想定企業プロフィール
| 項目 | 設定 |
|---|---|
| 業種 | 介護サービス業(訪問介護・デイサービス・居宅介護支援) |
| 従業員数 | 80名(正社員30名、パート35名、アルバイト15名) |
| 事業所 | 訪問介護ステーション2か所、デイサービスセンター1か所 |
| 女性比率 | 全体の75%(60名) |
| 主要取引先 | 自治体(入札案件)、地域包括支援センター |
| ESG専任者 | なし(総務1名が兼務) |
| 人事データ管理 | 弥生給与、紙タイムカード+Excel、人事台帳Excel |
手作業で3指標+関連データを整備する場合
| 作業項目 | 推定工数(年間) |
|---|---|
| 管理職の定義策定・社内承認(初年度のみ) | 16時間 |
| 女性管理職比率の算出(3事業所の役職者の洗い出し+集計) | 8時間 |
| 男性育休取得率の算出(該当者の特定+取得日数の集計) | 6時間 |
| 男女間賃金格差の計算(3雇用形態×男女×年間報酬÷労働時間) | 24時間 |
| 研修時間の集計(3事業所×介護職員初任者研修・実務者研修・社内研修) | 14時間 |
| 離職率の雇用形態別算出(正社員/パート/アルバイト別) | 8時間 |
| 労災発生率の集計(労基署報告との突合) | 6時間 |
| 入札書類への記入・フォーマット変換(自治体ごとに様式が異なる) | 18時間 |
| 取引先からの質問票(EcoVadis・独自様式)への個別回答 | 16時間 |
| 前年比較データの突合・差異説明の文書化 | 10時間 |
| データの根拠資料(給与台帳・勤怠記録)の整理・保管 | 8時間 |
| 年間合計 | 約134時間 |
80名の介護事業所で約134時間。フルタイム換算で約17営業日です。総務担当が給与計算・社会保険手続き・採用業務の傍らでこれを処理しなければなりません。
さらに厄介なのは、データソースが3つに分散している点です。賃金データは弥生給与、勤怠データは紙タイムカード(一部Excel)、人事異動・役職情報はExcelの人事台帳。この3つのデータを突合して1つの計算式に流し込むには、まず紙のタイムカードをデジタル化するところから始めなければならない。これが「データがない」のではなく「データがつながっていない」問題の正体です。
そして入札書類や質問票は、自治体ごと・取引先ごとに様式が異なります。同じ「女性管理職比率」を聞いている質問でも、フォーマットが違えば毎回手入力です。取引先が3社から5社に増えれば、18時間の転記作業は30時間に膨れます。問い合わせ元の数に比例して工数が線形に増加する構造です。
Before/After:介護サービス事業所の人的資本データ対応フロー
| 業務工程 | Before(Excel+紙の手作業) | After(統合ESGデータ基盤) |
|---|---|---|
| 賃金格差の計算 | 弥生給与→CSV出力→Excel手動集計。3雇用形態×男女の6分類を手動で仕分け(24時間/年) | 給与データ連携で自動分類・自動計算 |
| 管理職比率の算出 | 人事台帳Excelの役職欄を目視で集計(8時間/年) | 定義を一度設定すれば、異動時に自動更新 |
| 育休取得率の算出 | 紙の届出書類を遡って該当者を手動特定(6時間/年) | 勤怠・届出データから自動算出 |
| 研修時間の集計 | 3事業所の研修記録を個別に回収・手入力(14時間/年) | 研修記録の一元管理で自動集計 |
| 入札書類への記入 | 自治体ごとのフォーマットに個別転記(18時間/年) | 同一データから複数様式を同時自動生成 |
| 取引先の質問票回答 | 各社フォーマットに都度手入力(16時間/年) | SAQ自動マッピングで一括回答 |
| 前年比較と差異説明 | 前年Excelとの手動突合(10時間/年) | 時系列データが自動蓄積、比較は自動生成 |
| 算定根拠の保全 | 紙タイムカードの保管+Excelファイルの管理(8時間/年) | 暗号台帳が算定プロセス全体を自動記録。改竄不能 |
| 年間合計 | 約134時間(約17営業日) | 月次のデータ確認のみ |
「ESGの専門家はいないが、入札には間に合わせたい」——Marupass
ここまで読んで、「構造は分かった。でも来月の入札に間に合わせるには、何から始めればいいのか」と感じた方へ。Marupassは、介護サービスのような「人に関するデータは大量にあるが、ESG開示の文脈で整理したことがない」企業のために設計されたサービスです。
Q. 女性管理職比率の「管理職」の定義が分からない
Marupassの正規化ESGメトリクス体系には、社会(S)領域の指標として従業員数・雇用形態、女性比率、研修時間、労災率、賃金格差、離職率の6メトリクスが含まれています。「管理職」の定義は業界・企業ごとに異なるため、初回設定時に自社の定義を登録すれば、以降は人事異動のたびに自動で比率が再計算されます。
Q. パートと正社員の賃金格差をどう計算するのか分からない
給与データを取り込めば、Marupassが雇用形態別×男女別の報酬を年間所定労働時間で割り戻し、時間当たり賃金に自動換算します。弥生給与のCSV出力をそのまま取り込むだけで、手動の仕分けは不要です。
Q. 自治体ごとに入札書類のフォーマットが違う
MarupassのSAQ自動マッピングは、同一の統合台帳から複数の質問票や入札様式に自動変換します。自治体A・取引先B・EcoVadisが同じ「女性管理職比率」を異なるフォーマットで求めても、データの転記は発生しません。暗号証明トークン付きなので、「この数字の根拠は?」という問い合わせにもデータで即答できます。
Q. 入力を間違えたらどうする?監査で指摘されない?
MarupassのWORM型暗号台帳は、すべてのデータポイントを暗号チェーンで連結し、事後の改竄・削除をシステムレベルで禁止しています。修正が必要な場合は「訂正レコード」として元データとの差分が記録され、監査証跡が完全に保全されます。紙のタイムカードでは実現できない追跡可能性が、使い始めた瞬間から確保されます。
Q. 環境(E)のデータもいずれ必要になるのでは?
その通りです。Marupassは環境(E)15メトリクス、社会(S)9メトリクス、ガバナンス(G)6メトリクスの計30メトリクスを統合台帳で管理します。今回の人的資本データの整備は、そのまま将来のSSBJ対応やCSRD対応の基盤になります。「SのデータとEのデータが別のシステムに分散している」という問題を、最初から発生させない設計です。
社内FAQ——人的資本開示に関する社内の疑問
| 想定質問 | 回答 |
|---|---|
| 「人的資本開示って何?うちに関係ある?」 | 上場企業が有価証券報告書で女性管理職比率・男性育休取得率・男女間賃金格差の3指標を義務開示する制度です(2023年1月施行)。上場企業の話ですが、入札の資格審査や取引先の質問票を通じて、SMEにも同じデータが求められ始めています |
| 「女性が多い介護業界なら、特に問題ないのでは?」 | 従業員の女性比率が高いことと、管理職の女性比率が高いことは別の問題です。現場の介護職員の75%が女性でも、管理者やサービス提供責任者の女性比率は業界平均で50%前後。この乖離がデータとして可視化されます |
| 「男性育休取得率、該当者がゼロだったら書けない」 | 該当年度に配偶者が出産した男性従業員がいない場合は「該当なし」と記載できます。ただし、取引先の質問票で「男性育休に関する方針」を問われるケースもあるため、方針の文書化は進めておくことをお勧めします |
| 「賃金格差を開示したら、待遇への不満が出るのでは?」 | 格差が生じている場合、それが合理的な理由(職務内容、勤続年数、資格の有無等)に基づくものであれば、理由の説明とともに開示します。格差の数字を把握しないことの方が、将来の労務リスクとして大きい場合があります |
| 「いつまでに対応すればいいの?」 | 法律上のSMEへの直接義務はまだありません。しかし、自治体の入札加点や取引先の質問票は既に始まっています。次回の入札案件に空欄を残さないためには、今年度中にデータ整備を開始するのが現実的です |
| 「対応にはESGの専門知識が必要?」 | データの整備自体にESGの専門知識は不要です。給与データと勤怠データと人事台帳——この3つがあれば、指標の計算は自動化できます。必要なのは専門知識ではなく、分散したデータを一箇所に集める仕組みです |
稟議のための補足情報
本記事の内容を社内稟議や上長への報告に活用される場合の要点です。
- 法的根拠: 令和5年1月31日施行「企業内容等の開示に関する内閣府令」改正(有価証券報告書への人的資本情報開示義務化)
- 直接の義務対象: 有価証券報告書提出企業(上場企業約4,000社)
- SMEへの波及経路: 自治体入札の加点評価 / 上場取引先からの質問票 / CSRD/ESRS S1のバリューチェーン要請
- 対応しない場合のリスク: 入札加点の取りこぼし / 取引先質問票の空欄による評価低下 / 将来のSSBJ対応時のデータ不備
- 推定工数削減: 年間約134時間(17営業日分)の手作業 → 月次のデータ確認のみ
- 初期対応の最小単位: 給与ソフトのCSVエクスポートを1回試すだけで、賃金格差の自動算定が可能
SAQ Shield
ESG Questionnaire Auto-Pilot
| ID | 質問内容 | 自動入力された回答 | データソース | 確信度 |
|---|---|---|---|---|
| E-1.1 | 年間の電力消費量(kWh)を記入してください | 216,000 kWh | 請求書自動取込 | 99% |
| E-1.2 | Scope 2 排出量(tCO2e)を記入してください | 95.26 tCO2e | 排出係数自動適用 | 98% |
| E-2.1 | 再生可能エネルギーの使用比率を記入してください | 12.4% | JEPX NFC 証書照合 | 95% |
| S-3.1 | 労働安全衛生に関する方針を記述してください | ISO 45001 準拠の安全衛生方針を策定・運用中 | ガバナンス台帳 | 92% |
| G-1.1 | 取締役会のESG監督体制を記述してください | 取締役会にサステナビリティ委員会を設置(年4回開催) | ガバナンス台帳 | 97% |
まとめ
入札書類の「女性管理職比率」欄は、上場企業の有価証券報告書に導入された人的資本開示義務が、自治体調達や取引先の質問票を通じてSMEにまで到達した結果です。介護サービス業では、雇用形態の多層性(正社員/パート/アルバイト)、管理職定義の曖昧さ、男性従業員の少なさという3つの業界固有の難しさが計算を複雑にします。
しかし、必要なデータ自体は社内に存在しています。弥生給与、タイムカード、人事台帳——分散しているだけで、データがないわけではない。これを一箇所に集め、指標を自動計算し、入札書類にも質問票にも同一データから出力する。この仕組みがあれば、134時間は確認作業の数時間に変わります。
まずは来月の給与確定時に、弥生給与からCSVを1回出力してみてください。Marupassの無料診断で、そのデータから賃金格差が自動算定されます。空欄を埋める準備は、そこから始まります。